2019年07月28日

自民党県連による参院選報道批判の不可解な点


 ご存じの方も多いだろうが、7月21日に投開票された参院選に関する報道記事をめぐって、自民党沖縄県連と沖縄タイムス紙との間で一悶着が起きた。

 ことの発端は、タイムス紙が7月23日に掲載した「反新基地 固い民意 19年参院選」という連載記事である。

 自民党県連が問題にしたのは、同党が擁立した安里繁信候補の敗因を分析した記事の中で、県連が辺野古移設推進を掲げているにもかかわらず、安里候補が辺野古移設に曖昧な態度を取り続けたことに対し、自民党県連の総会の席上、某県議から「もう、公認を取り消してもいいんじゃないか」という不満の声が上がった、という記述である。

 この記事に対し、県連側が、「安里候補の公認取り消しについて協議した事実はない」として、沖縄タイムス社に抗議するとともに、記事中に出てくる県連幹部が誰なのかを明らかにするよう求めたところ、沖縄タイムス側は、「当該記事に誤りはない。県連が匿名の発言者を明らかにするよう求めたことは報道機関への不当な介入と言わざるを得ない」と猛烈に反発し、県連とタイムス紙との間で非難合戦の様相を呈する有様となった。

 ところで、一連の騒動をつらつら眺めていて気が付いたのだが、自民党県連の抗議には、奇々怪々とでも形容したくなるような不可解な点がある。

 今回問題となったのはタイムス紙の記事だけだが、実をいうと、それと全く同じ主旨の記事が、同じ日付で、琉球新報にも掲載されているのである。

 7月23日に掲載された「確固たる民意 2019参院選」という連載記事がそれで、この記事でも、安里候補が、辺野古移設の賛否について、「口が裂けても推進、容認とは言えない」と発言したことに県連内部から反発の声が上がっていたことを述べた上で、

「(安里候補の)政策発表の直後、県連の一部からは『自民党公認を取り消すべきではないか』という議論まで出た」

 と、はっきりと書かれている。

 細かい点を挙げると、タイムスと琉球新報の記事には、いくつかの相違点(①タイムスの記事では、公認取り消し云々の発言があったのは安里氏の政策発表の5日前だと明記しているのに対し、新報の記事では、政策発表の直後だとしていること、②タイムスは、県連の議員総会で発言が飛び出したことや発言者が県議であることを明記しているのに対し、新報は、発言があった場所や発言者について、極めて曖昧な書き方しかしていないこと)があるものの、大筋においては、ふたつの記事の報道内容は同じである。

 自民党県連の抗議の主旨が、〈県連として安里候補の公認取り消しを協議した事実はないにもかかわらず、あたかも、そのような協議をしていたかのように報じられた〉というものだったことを考えると、常識的な感覚からすれば、琉球新報の記事も抗議の対象に含まれるはずであろう。にもかかわらず、県連が、琉球新報社に対しては抗議をしていないのは、どうにも訳が分からないことである。

 しかし、不可解なのはそれだけではない。

 自民党県連がタイムス紙だけを槍玉に挙げているのと並んで不可解なのが、今回の騒動に対する琉球新報の態度である。

 琉球新報は、25日付で「自民県連 参院選報道に抗議」という記事を掲載し、今回の騒動について報じている。その記事で、新報は、「政党がメディアの報道内容に対し会見を開くのは極めて異例で、識者からは『報道への圧力』との指摘も出ており、県連の一連の行動は波紋を広げそうだ」と指摘した上で、山田健太郎・専修大教授の「複数のメディアが集まった公開の場で抗議することは圧力であると同時に報道各社へのけん制にもなっている」「政治に関する報道は自由であるべきで、公党のこのような行動はおかしい」というコメントを引用して、締めくくっている。

 全文を通読してもらえば分かるだろうが、表面的には自民党県連の行動を批判しているものの、どこか奥歯に物が挟まったような、奇妙なよそよそしさを感じさせる書きぶりである。

 よく考えてもらいたい。自民党県連が噛みついた報道内容は、タイムスだけではなく、琉球新報も記事にしているのである。つまり、琉球新報は名指しこそされてはいないが、記事の内容を事実無根であると決めつけられたという意味では、県連からケンカを売られたのも同然なのである。自分たちは直接抗議を受けていないからといって、他人事のような態度を取れる話ではないはずなのだ。

 本来なら、県連が問題視している報道内容については、琉球新報でも報道済みである事実をはっきりと示した上で、記事の掲載にあたっては信頼できる取材源から裏付けを取っており、琉球新報としても、今回の県連の抗議が全くの見当違いであると断言できる、と鳴り物入りで反批判を展開すべきではないだろうか。

 そうすれば、県連から不当な(?)言いがかりをつけられた格好のタイムスにとっては、これ以上はないほどの援護射撃となるだろうし、今回の県連の行為が許すべからざる報道への不当な介入だというのであれば、そのような不当な報道圧力を跳ね返す上でも、有力な反撃になるだろう。

 ところが、どうにも首をひねらざるを得ないことに、県連とタイムスの非難合戦を報じた琉球新報の25日の記事には、新報自身の記事に関する言及が全くないのである。これではまるで、「(安里氏の)政策発表の直後、県連の一部からは『自民党公認を取り消すべきではないか』という議論まで出た」と伝えた23日の新報の記事は、この世に存在しなかったかのようである。

 なぜ、琉球新報は、ことさらに自らの記事については触れようとしないのだろうか。

 どうにも釈然としない思いが募るばかりだが、琉球新報がこのような煮え切らない態度に終始しているのは、何かそうせざるを得ない理由でもあるのだろうか。それとも、ただ単に、本音では今回の騒動を対岸の火事と見なしていて、触らぬ神に祟りなしとばかりに、巻き込まれないように距離を置いているだけなのだろうか。

 いずれにせよ、自民党県連の態度といい、琉球新報の態度といい、不可解というほかはない。

自民党県連による参院選報道批判の不可解な点
自民党県連による参院選報道批判の不可解な点
自民党県連による参院選報道批判の不可解な点

Posted by HM at 18:17│Comments(0)
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