2018年08月31日

なぜか疑問視されない知事選直前の「逃げ切り撤回」


 まずは次の文章を読んでもらいたい。

「『晩節を汚す』とはこのことだ。
 選挙で負けた知事が、任期残り4日というタイミングで、辺野古の基地建設をめぐる手続きに逃げ切り承認をしてしまった。(略)辺野古の基地建設が最大の争点になった知事選挙で、沖縄県知事を2期も務めた人物が、10万票という大差をつけられて落選したのだ。これは紛れもない『不信任』なのだから、潔く去る以外にないはずだった。怒り、呆れる以上に心配になる。ここまで県民の恨みを買って、この老人は島に暮らしつづけられるのだろうか」(三上智恵『戦場ぬ止み』大月書店・117ページ)

 三上智恵氏が、「ここまで県民の恨みを買って、この老人は島に暮らしつづけられるのだろうか」と、敵意をむきだしにして痛罵しているのは、前回の知事選で翁長雄志氏に敗北した仲井真弘多氏である。

 そして、読んでもらえばすぐに分かるように、三上氏が仲井真氏をヒステリックに罵っているのはなぜかというと、いまから4年前、仲井真氏が、知事を退任する直前に辺野古の埋立工事を承認したからである。

 三上氏の手にかかると、仲井真氏は、県民の民意をないがしろにして裏切った「日本一恥ずかしい知事」だと散々な言われ様である。読んでいて気の毒になるほどだが、三上氏の憤激は仲井真氏を罵倒するだけでは収まらなかったようで、

「彼はなにも、ひとり勝手に知事になったのではない。2006年には34万7303人が、2010年には33万5708人が、彼に票を入れているのだ。私は本気で聞いてみたい。のべ68万3011人の票を投じた県民は、いったい何を見て仲井真氏に票を入れたのか。少なくとも、県民の審判の上に選出された次期知事の意向に逆らって、重大な事案の駒を進めて逃げる。そんな人物を選んでしまう目のなさについては、有権者の落ち度としか言いようがない。(略)残念ながら、有権者の民度に見合う政治家しか選挙に当選しない」(同前・120ページ)

 と、“こんな男を知事に選んだお前たちもどうかしている”とばかりに、沖縄県民の「民度」の低さにまで噛みついているほどである。

 いやはや、三上氏にいわせると、仲井真氏に投票した県民は、さだめし、「日本一恥ずかしい知事」を選んだ「日本一恥ずかしい有権者」ということになるのだろうが、ここまで来ると、女のヒステリーもなかなか凄まじいものである。

 それはさておき、三上氏が4年前に書いたこの文章を改めて読み返しながら、どうにも不思議でならないことがある。

 それはなにかというと、いままさに、4年前に三上氏を激怒させたのと同様の事態が再び演じられようとしているのに、それに対して、三上氏が口をつぐんで黙りこくっていることである。

 4年前と同様の事態とは、もう間もなく知事選挙が告示され、およそ1ヵ月後には新たな沖縄県知事が誕生するにもかかわらず、現在、県知事の職務を代行している謝花喜一郎副知事をはじめとする県当局が、生前に翁長知事から撤回の意向が示されていたという理由を挙げて、辺野古の埋立承認を撤回しようとしていることだ。

 なによりも民意を重視すべきという三上氏のような立場からすれば、このような県当局の対応は、どう考えても正当化できるものではあるまい。

 なぜならば、冒頭で引用した三上氏の文章にならっていえば、選挙で信任されてもいない職務代行者が、任期も残りわずかというタイミングで、辺野古の基地建設をめぐる手続きに逃げ切り撤回をしてしまおうとしているからである。県民の審判の上に選出される次期知事の意向がどうなるのかが明らかになる前に、県当局が、重大な事案の駒を進めて逃げようとしているからである。

 このようなことが許されていいのだろうか。本来ならば、県民の民意が示されるのを静かに待ち、選挙の結果を見届けた上で潔く去るべきはずの人々が、県民の民意を無視してことを進めようとしているのである。

 それなのに、三上智恵氏はなぜ沈黙しているのだろうか?

 三上氏だけではない。4年前、三上氏と同じく、逃げ切り承認は民意への裏切りだと仲井真氏を激しく非難した人々(そのなかには、琉球新報、沖縄タイムスといった地元メディアも含まれる)は、なぜ黙り込んでいるのだろうか?

「私は本気で聞いてみたい」。

Posted by HM at 12:00│Comments(0)三上智恵
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